6/11(月)
〜まずはオランダから〜
出発にあたって思うこと。
珍しくも昨夜から体調がかんばしくない。
この腹痛をいかに克服しようか。
とりあえず薬を飲んでしのいでいるが、
現地に到着する時までには治そうとしている。
KLMオランダ空港に乗るのは、前回のヨーロッパ旅行の時ぶりだ。
テル・アビブに向かうにはヨーロッパ回りのほうがいいだろうと、
旅行代理店がすすめるもので、「それは都合がいい」と思った。
なぜならオランダのアムステルダムには
Y・サエコ嬢が住んでいるからだ。
ひょうたんから駒とはこのことなので、
彼女の住んでいる所に寄ってから、
イスラエルに向かおうと決めたのだ。
空港のよどめく空にぞ わが未来
賭けたることもたまにあるらむ
KEITH 沢井
KLM862には前にも乗った。今、その機体を眼前に眺めている。
青と白のツートンカラーで、
スチワーデスのユニホームもそれに合わせているんだな。
うす明かり 空の白さもほのかにぞ
かすかに導く光をば求めん
KEITH 沢井
早々と出国を済ませたのはいつものことだ。
あとは搭乗のアナウンスを待つだけとなった。
サエコ嬢よりタバコの買い物を頼まれたんだけど、
私自身、普段からタバコは吸わないために、よく分からなく、
結局買うことができなかった。はて、私の記憶違いだろうか。
彼女はタバコを吸う人だったか、どういうことだろう。
見当がつかないのだった。
――歴史の都、宗教の都、戦争の都、イェルサレム。
この目で見るイェルサレムはどんな実体を持っているのだろうか。
イェルサレムとは「イェル シャライム」、
つまり「平和の町」という意味になる、と本で読んだ。
平和を希求し、願望する。
その切なる思いがこの町にこめられているのだろう。
でも、そこは宗教がぶつかり続けた町であった。
感慨に 飛行機眺むる人たちの
旅立ち待ちたる静かなる笑顔
KEITH 沢井
人間とは戦争をする生物だ。戦争とは何か。
それはおびえながら争うことだ。
つまり争いはおびえであり、おびえるから争うことにもなるんだろう。
そのおびえから解放されること、
日々の安寧とともに生活することができること、
その目的として宗教が多くの役割を果たしているに違いない。
おそらく、魂の安らぎを得れば、死ぬことも幸せとなるだろう。
宗教はまた人々の結束をも固めているのだろう。
その結束がまた反対に他の宗教とは対立を生み、
「イェルサレム(=平和の町)」でありながら、
そこで戦争を起こすのだ。
自爆テロ、自分の命を投げだすテロ、宗教的結束による、
尊大なる反逆のテロ、殺人に対する気高い精神。
――それは許され得るものなのかどうか。
その許しは、人間が与えるのか、それとも神が与えるものなのか。
・・・・・・離陸した。
ガザで三人のパレスチナ人が殺されたこと、機内のニュースで見た。
とはいえこれは、通常のテロなどとは思えない。
私が再びヨーロッパに渡ることになるとは、
考えても考えつかなかった。
前回渡った時は、オランダ、フランス、スペイン、
そしてイタリアを回ったのだけれど、
あれは確か17日ぐらいの旅だった。
・・・・・・現在、運航を続けるこの飛行機はすでに
全行程の3分の2を過ぎた。そろそろ尾底骨などがすりむけてきて、
痛くなってくる時間だ。これがとても耐えられない。
・・・――14時56分、アムステルダムの空港についた。
一時間ほど飛行機が早まったので、サエコ殿いなく、
ひとまずは予定していた到着時刻まで待つことにした。
ヨーロッパの雰囲気はかつてと変わらないけど、四年前、
ピカピカに輝いていた建造直後のシッポール空港とは
少し表面が古びたような気がする。
人々は特に自分の荷物に気を配っているわけでもなく、
酔っ払いや乞食なども見かけるのは、
やっぱり平和な面持ちとでも言うべきか。
6/12(火)
一夜明けた。サエコ嬢とは昨日の午後3時30分過ぎに会えた。
空港のインフォメーションで
アムステルダムでのホテルの予約をとった。
御女史の住居に程近いホテルだ。
金銭的に、”キルダー”という通貨価値を
すぐにはつかむことができないので、
どんなことに関しても御女史にまかせっきりになってしまうのは、
当初の心構えだと予期していたけれど、
またサエコ嬢もよく私の期待に応えてくれる、と感じるのだ。
昨日のことだけど、
空港からアムステルダムの中央駅までは電車で、
それからホテルの近くまでは
路面電車(トラム)でエスコートしてくれた。
それを降車して書店などによったんだけど、
予約したホテルはすぐに見つかった。
値段にしてはそれ相応のホテルだろうか。
その後は近くにあるというサエコ嬢のアパートに赴いた。
部屋の中はこじんまりと白で統一され、清潔感であふれていた。
寝室と居間に分かれ、トータルで二十畳ほどの広さで、
1ヶ月5万円の家賃だと聞けば、東京よりは安いもんだ。
ただ、キッチンおよびトイレ、バス(シャワーのみ)は共同で、
別の場所にあった。
タイ料理屋で夕食、散歩したあとに一杯呑み屋へ。
さてゆっくりと話したいこともたくさんあるだろう、
と考えに耽りながらもしばし談笑をした。
こんな時でも、たまには真面目な話がでてくるものだ。
日本から出て、離れてから日本を眺めるほうが、
より冷静に自分を見つめられるものだろう。そして私とサエコ嬢も、
ついに日本とオランダ、あるいは日本人とオランダ人の
比較論まで達していった。
日本人の閉鎖性、オランダ人の開放性。保守性、革新性、
――例えば音楽に対する考え方、その他日常的なこと、
挨拶に対する姿勢などなど、
このような真面目な話をするのは、久しぶりなのだ。
最後に御女史にゴッホ美術館へと向かう地図、
手書きで描いていただいたので、
今日はこれからそこに行こうかと思っている。
ひとつ失敗だったのは、
ミネラルウォータを買っておくべきだったのを、
忘れてしまった。
今朝も早くからノドが乾き、
また薬を飲むにも水がなければまずいので、
ちょっと困ってしまった。
――――――――――――――――――――
・・・・・・ゴッホ美術館は素晴らしい美術館だった。
年代別に、その人の足跡まで分かるように造られているので、
ゴッホ本人の心の動きとともに、どの土地で何を描き残したのか、
その時の身体と精神状態が、手にとるように分かった。
さらに、ゴッホの作品もさることながら、ドラクロアの作品で
とてもいいものを見つけた。それは『ゲツセマネの祈り』だ。
表現力としての影、陰陽は他に類のない傑作だとも思った。
思わず知人のゴッホファンに絵葉書を送った。
午後3時から昨日に引きつづきサエコ女史に会い、
運河のクルージングを楽しみ、かなりダッチ気取った食事をした。
ちなみにラーメン屋というのもためしに見物しに行ったんだけど、
「屋」というようりはレストランのような様相だった。
昼間、スパークリングのミネラルウォータを手に入れたので、
もう飲料水のことで心配する必要はなくなった。
6/13(水)
〜いよいよイスラエル〜
今朝のニュースでパレスチナ人が一人殺されたことを
やったけど、私には関係ないことだと思った。
イスラエル側との話し合いはまだ持たれず、
小康状態が続いているものの、一進一退、
ついには全面戦争ともなるかも知れない。
だけど、それを恐れていては、何もできないだろう。
6時10分に起床し、今は朝食の時間を待っているだけだ。
今日、19時20分の飛行機でいよいよイスラエル入りするのだ。
私にとってこれからの二週間、まさに気を抜けない、
けれども神聖な、そういう心持ちを継続させなければならない
時間がやって来る。
あぁ、ヌクい日本。温泉のような日本。そこを離れ、
”モノ好き”と呼ばれるのもかまわず、
かの聖地イェルサレムを訪れるのだ。
その土地を訪ね、宗教を見、対立を見、歴史を垣間見てこよう。
そして人間のつくった文明を感じ、崩壊した過去を見てこよう。
そこに何があるか?目に見えるもの、見えないもの。
悲惨ではあるけれども誇りに満ちている人々の暮らし。
貧窮、不安にかられても、慰め、光明を感じることのできる生活。
特に私にとっての関心は、これらを包みこんでいる環境だ。
環境とは、食事、服装、気候、自然、すべてを含む。
それを知らないまま小説など、どうして書くことができるだろう!
・・・・・・たった今、
イスラエルでは平和交渉が進んだというニュースが
あらためて流れた。これはチャンスだと思った。
10時過ぎにホテルをチェックアウト、荷物をフロントに預けたが、
予算が足りなく銀行に行ってUS$40を両替した。
これからサエコ嬢の自宅に向かう途中だ。
・・・・・・サエコ嬢とはアンネ=フランクの家を見学し、
昼食でクレープを食べ、そのまま別れた。
なお、アンネ=フランクの家だが、
多少の補強がほどこされているものの、だいたいの骨組、階段、
床などは昔の形のままを残して存在していた。
博物館になっていたが、それが国営のものとは思えなかった。
恐らくは私営でもっている建物だろう。
さすがに古くはなっているので、
床などがかしいでいて、大変恐い。
いつか建物ごと崩れてしまうのではないかと案じられた。
とはいってもこれは驚きに値する。
アンネ=フランクもまたユダヤ人だったのだ!
昨日見学をしたゴッホ、そしてアンネ=フランク!
このユダヤ系の二人。
二人とも偉大なるオランダ人ではなく、
たまたまオランダに居住していただけなのだ。
二人の偉業はたたえられるだろう。
だけど二人は本当のオランダ人ではない。
この矛盾、この葛藤。
もがき、あがきは私の想像に絶するものだったろう。
しかし、それを表現するのが私の使命ではないか。
・・・・・・さて、御女史に別れを告げてからは、
多少なる運動も兼ねてみようと歩きで中央駅まで向かった。
もちろんホテルで置いておいたバックパックをとり戻してからだ。
10kg近い荷物を背負って歩いたので、少し汗もかいた。
電車に乗って空港についたら、
「あなたの飛行機は遅れています」と聞いて
サービスのドリンク券を頂戴したので空港内のBarに赴き、
ハイネケン=ビールでホッとしつつ、これを書いている。
――――――――――――――――――――
この飛行機の遅延はふつうではない。
すでに予定時刻を一時間以上も過ぎているので、
いい加減ひまつぶしにも飽きた。
手持ち無沙汰のまま搭乗口を目指してゲートにたどり着くと、
また表現できないほど面白い光景がそこで待ちうけていた。
出てくる、出てくる、アラブの布をかぶったイスラム商人たち、
そして黒い背広上下に黒い帽子をかぶったユダヤ教徒たち。
この諸氏方は、いったい、
なにゆえこの異郷の地においても黒装束なのか!
――こういう宗教的、異様なムードもまた、尋常ではない。
まさにこの空港の狭い搭乗口さえもイスラエルの縮図なのだろう。
ついに飛行機は三時間以上も遅れた。
これが何かの前ぶれではないことを願うだけだ。
それにつけてもこの飛行機を待つ人たちの顔ぶれ!
まるでインディ=ジョーンズの世界にいきなり
入ってしまったような心地だ。
――――――――――――――――――――
吾、生きてなほ、意味のなき人生なれば今日ここで
かうして死にても、悔ひることなし。其の運命を共にしたる
人々が、かういふ人々ならば、あへて良しとすべし。
アムステルダムに搭乗口でのチェック、
甚だ厳格なりて驚くべし。
果たして対テロリズムとは、かういふことなるか!
6/14(木)
〜聖地イェルサレム〜
飛行機は結局四時間遅れて出発、
ベン=グリオン空港に着いて乗り合いタクシーで
一旦運転手に目的地を間違えられ、
ホテルに辿りついた時にはすでに夜もすっかり明けていた。
飛行機では日本語を喋る、
かつて武蔵野美術大学で勉強していたと言う入道の男、
ペルーから来たと言う白髪の翁に会った。
イェルサレムの第一印象は、
「いやぁ、これはアジアだなぁ」というものだった。
気温、気候、ムード、そして朝のアザーン(お祈りをすすめるモスクの歌)、
――この味はむしろ懐かしい!
だけどそれは実際に外に出て歩いてから確かめよう。
今日、これから(現在正午前)旧市街に行って安ホテルを探すのだ。
イェルサレム アラブの国の喧騒よ
鳥のさへずりよと木洩れ日に酔ふ
KEITH 沢井
さて、どのガイドブックを見ても話題にしている、
”シュワルマ”とかいうものを
ホテル付きのレストランで食べてやろうと思う。
この人がコックだと思った男が実はただの小間使いだったりして、
なかなか、
「やっぱここはアジアなんだな」と再確認のようなものをした。
――――――――――――――――――――
何という痛手だろう!すでに1万5千円もボラれてしまった。
久々にアラブ人のボッたくり商法に騙されてしまった。
けれども「これも旅のひとつのトラブルなんだ」。
まだホテル3泊分とマサダへのツアー代金を
確保できただけよしとしよう!
インドネシア、インド・・・と
アラブ人の気質を充分に知っているので、
彼らがやろうとすることも理解はできる。
騙されるのが逆に得をするということもあるだろう。
ボラれた代償に”ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)”、アルメニア地区、
ユダヤ教地区のこと、こと細かい情報を得た、
ということは反対に得をした、とも言えないだろうか。
ただ、”岩のドーム”と”エル・アクサ”は現在のところ
立ち入ることができない。
そのことを全く知らされていなかったので、
その入り口まで来て立ち往生してしまった。
門番をしていた軍人さんに「ここから先は行けない」と止められて、
初めてそういった事実と経緯があったのか!と知ったのだった。
6/15(金)
〜死海地方へ〜
マサダに登った。
噂に聞いていたその朝焼けは、聞きしに劣るもので、
それほど感動を覚えない。
むしろ荒野のワディ(枯れ川)のほうが興味深い。
この荒れた大地にイエスも足を踏みおろしたのか。
恐らく40日間の断食に入った時には、
このような道を歩いたんだなと思う。
ワディ(枯れ川)というもの、これが自然の脅威というのだろう。
切り立つ岩山の間を抜けるようにして、
まるでなだれるように深々と、しかも奥へ、
あるいは前へと拡がる。角ばった小石の群れ、
今にも全体が転がりおちそうな妖しさだ。
今日は午前2時半に起きて準備をした。
前の日に買っておいたパン、
チーズ、そしてハムで軽く朝食をとってから、
3時20分になっても呼び出しのドアのノックがないので、
自分からレセプションへ行き、
迎えの乗り合いタクシー(シェルート)に乗った。
マサダにはだいたい5時前に着いて、頂上目指して登り、
現在は頂上の要塞跡を観て帰ってきている。
休憩をとりながら、これを書く。間もなく午前7時半になる。
――――――――――――――――――――
午前8時20分、死海にて。焦げつくような太陽の光線。
そして死海の蒸発した水が、はるか向こう岸を霞ませている。
同乗の韓国人にかなり強く泳ぐことをすすめられたけど、
水着を持ってこなかったので、泳ぐすべもない。
もともと泳ぐつもりもなかったので、それでもかまわない。
なるほど、「死海は視界が悪い」とはよく言ったものだ。
だけど、ここが地球で最も低い土地と思えば、
そういう経験も重要なんだな。
ほんのちょっと海岸でたたずんだだけで、口の中がしょっぱい。
世界一 低き所に立ちて吾は
よろめき揺れるこそ楽しけれ
KEITH 沢井
とにかく小鳥のさえずりがうるさい所だ。
さらに、小鳥の種類の多さに驚く。
今はスズメ、ハト、カラスだ。これらはありふれた鳥だけど、
共生しているせいか、鳥たちの鳴き声が止むことはない。
湖と言っても死海はまるで海のようだ。そうだ、
古来からここは”海”と呼ばれていたため、”死海”と名が付いた。
この世で最も低い土地。
その低さの、さらに海抜下へと向かわせる海。
その名も”死海”。――と言っても、
その死海という名前も長い歴史が
あるわけではなく、イエスの時代は”塩の海”と呼ばれていた。
湖岸のすぐ脇には切り立つ岩山。その山の頂上が平らなのは、
ちょうどフレンチポリネシアの島々(ボラボラ島など)を
彷彿させるのだ。
――――――――――――――――――――
エン=ゲディ国立公園にて
幹の根元からたいがいは2〜3本に分かれ、
樹皮はやや黄土がかった灰色。縦にしわ。木高5〜10m。
オレンジ色の実。――サルバドーラ?
――――――――――――――――――――
またしてもだ。一杯食わされた。
エン=ゲディの後は、最大の目的地にもなるだろう、
クムランに行くはずが、運転手いわく、
「現地の前で1分間だけ駐車したが、皆な寝ていたので、とばした」
とのことで、予定を外してしまった。これは最大の痛手だ。
私たちが目を覚ましたとき、既にオリーブ山まで帰ってきていた。
オリーブ山は後日あらためて観るつもりなんだ。
今日は無理をして観る必要はない。
ということで、韓国女史のリクエストにより、
(何故か)旅行エージェンシーを数箇所あたって、
ヤッファ門あたりでシェルートから降ろされる。
昼食は自炊にしようと昨日買い物をした店に向かったところ、
そこで丁度いいカフェテリアを見つけてしまったので、
15NIS(約450円)のシュワルマを食べた。
体力の限界を尽くした一日だったので、汗の量もはなはだしく、
この日から先も一日一回の洗濯は欠かすことはできない。
さて、本日の日暮れからいよいよ安息日(シャバット)に入る。
私が最初に迎えるシャバットのイスラエルだ。
明日はひとまず安息日とやらの様子を見ることにしよう。
たまっている絵葉書などを書いて時を過ごそう
今日はこれから日暮れまで、”ダビデの塔”にでも訪れてみようか。
つづく
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